雨水

日本人はこんなにすごかった!?ライプニッツもラプラスも越えた日本の和算家達

先日、テレビで和算家の関孝和に関する番組を見ました。関孝和と言えば、知る人ぞ知る和算の大家ですね。

関孝和は甲州藩の勘定役だったので、そろばん、つまり暗算にかなり長けていたと思います。

江戸の元禄時代に町民文化が花開くと、人々は様々な勉学、娯楽を楽しむようになり、日本中に和算も流行します。

よく江戸時代は士農工商という身分制度があったと言われますが、一説には、それを唱えたのは明治政府で、江戸時代にはそのような身分制度はなく、文献を読んでも、武士か武士以外程度だったと思われます。

身分制度は、むしろ武士階級の中にあって、規律も罰則も武士階級のそれは非常に厳しく、時代劇でみるような悪代官などいたら、お庭番に知られて即お家お取り潰し、血筋は断絶です。

江戸時代の税金は年貢と地主の地代だけ、現在のように二重三重に税を徴収することはありませんでした。

ということで、江戸時代の役人はとても貧しかったのですが、必要とあらば一日一時間しか寝ないで、一ヶ月たたずして英語をマスターしたというスーパー幕臣もいました。

やるとなると徹底的にやる、それが江戸時代の人々の生き方だったようですね。

ちなみに、関孝和ので家系ですが、直系の子がなく養子を貰い受けましたが、その養子が追放となり関家は断絶しました。

関孝和自身も養子だったようです。

江戸時代の算学の教科書で最も有名なのが塵劫記、江戸時代の超ロング・ベストセラーです。

この名の由来は法華経の塵点劫ということですが、塵劫記の塵は数の小さいほうの無限、劫は大きいほうの無限を表す言葉なので、由来としては法華経よりこちらの方がより現実的かもしれません。

塵劫記は、数の数え方から始まり、九九の計算、面積、体積、三角関数など、多岐にわたる数学の問題が図と共に出題されており、非常に面白い本です。

また、利息の計算、税の計算など、生活に密着した問題が多いのが、和算の特徴ですね。

紫陽花

関孝和はこの塵劫記を読んで和算の基礎を勉強したのでしょう。

確かに、塵劫記の問題をさらっと解ける人はすごい・・・と思いますけど。

塵劫記の面白問題・絹盗人を知る算

問題はこのようなものです。

何人かの盗人が橋の下で盗品の反物を分配しています。

橋の上にいた人が聞いていると、一人に十二反ずつ分けると十二反余り、十四反ずつ分けると六反不足するということ。

盗人は何人で、反物は何反か求めなさい。

答えは、盗人は9人で反物は120反です。

他にも、和紙で木の高さを計る方法などが、イラスト入りで出題されています。

塵劫記は読み物としても興味深いのもので、当時の江戸の人々の物の考え方などが垣間見える本です。

和算はヨーロッパよりはるかに進んでいた

さて、話を戻しますと、和算家関孝和はまさに天才の数学家でした。

彼無くして、和算の発展はありえないほどの人物で、関孝和が亡くなってからは、彼の弟子たちが関流として和算を発展させていきました。

ではどれだけすごいのかというと、関孝和は行列式の1次式を、ライプニッツが発見する1693年より10年も前に発見しています。

和算家の瑠島義太は、ラプラスがラプラス展開を発見する1772年以前の1757年にラプラス展開を発見しているし、オイラ-以前にオイラーの公式を発見しています。

また、関孝和がベルヌーイよりも先にベルヌーイ数を発見していることは有名ですね。

残念なことに、日本国内でこれだけ発展した和算が、世界に広まることはありませんでした。

和算禁止・・・でもそろばん復活の明治時代

明治になると、和算より洋算が重視され、和算は禁止されました。

しかし、禁止されたはずのそろばんは復活しましたが、和算は復活することはありませんでした。

明治以後、日の目を見なかった和算ですが、最近になって徐々に脚光を浴びてきましたね。

和算に関する本も多く出版され、関孝和の名も広まって来ました。

江戸時代大流行した和算ですが、中にはそれを面白く思わない人物もいたようです。

和算は無用と批判した荻生徂徠は算数が苦手だった???

江戸時代の思想家荻生徂徠は、和算は無用と切り捨てています。

荻生徂徠は立派な儒学者であるし思想家でもありますが、他の畑を批判するのはいただけないですね。

でも江戸時代、こうしたことはよくあって、ねたみやっかみは多かったのです。

学問の世界だけでなく、文学界でもそうです。

滝沢馬琴は武士の家の生まれですが、吉原通いが過ぎて梅毒にかかり、家を追放されて武士ではなくなりました。

放浪しかけていた馬琴を救ったのが山東京伝ですが、京伝の弟京山が武家の養子に入って苗字と帯刀をゆるされていたのが気に入らなかったのか、京伝が亡くなったとき、馬琴は葬儀にも顔を出さなかったそうです。

徂徠も、大流行している和算に嫉妬したのかもしれません。

しかし、無用と言われても、和算は西洋数学を凌ぐ勢いで発展していきます。

その後、明治政府やその周辺から追放された形で抹消されたかのような和算でしたが、現在、和算が見直され、和算家達の名誉が回復されてよかったなと思います。

江戸時代の教育がわかる本、塵劫記についても書かれています。